SNSを毎日更新できないライターにクライアントは期待しない

えらくまた挑発的なタイトルですが、あながち間違ってはいないのではないかと思います。
クリエーター、特にライターは、お金がからむ仕事を任されるようになりはじめると、編集者や他のクライアントから、必ずといっていいほど尋ねられます。

「なんか面白い企画ない?」と。

僕がライターとして本格的に活動しはじめた頃は、まだネットが普及してませんでした。
また、紙媒体全盛の時代でしたから、リアルで編集者の方やクライアントに会わない限り、「企画ない?」なんてことを尋ねられることはありませんでした。
むしろ、仕事がほしくて、企画書ないし作品を持ち込むことが多かったように思います。
今は、ネットがありますから、下手すると数時間おきに編集者さんやクライアント様から「企画ない?」というメールが飛んできます。
20年前から考えたら素晴らしく恵まれた環境です。

今から20年前は、今でいう写真素材を使いたかったら、ひどく大変でした。
なにせ、JPGに加工された写真素材がネットで手に入る時代ではありません。
自分で撮るか、フォトグラファーの方から紙焼きした写真を借りてこなければなりませんでした。(レンタルポジといいます)
押し頂くように借りてきた写真を扱い、原稿を書いて版を組んで印刷に回したら、電車に乗ってわざわざ写真を返却にいくという時代でした。
わざわざ写真を持参して返却するのは、フォトグラファーの方の作品だから。郵送して折り目がついたり、万が一紛失したら、文字通り切腹ものだったからです。(お金で片がつかないことにもなりかねないくらいの紛争に発展することも珍しくなかったように思います)

特に、大御所の先生が撮られた著名な女優さんの写真なんかをお借りする時は、ハラハラし通しでした。
よく、新人の子が、大御所の写真家の先生の写真を電車の網棚にのっけたままにして紛失してしまい、半べそをかきながら、JRの落とし物が集まるセクションでひたすら写真を探すなんていう話を耳にしたものです。(そういえば、篠山○信先生のポジを無くした友人、先輩からタコ殴りにされてましたが。無事見つかって、許してもらえたらしいですけど。本当に見つかってよかったと思います。)
それが、今や、デジタル化された写真素材はあるし、デザインを勉強していなくても、ちょっとセンスがあれば、そこそこの構成の記事をさっさと書いて構成して、メールで納品できます。
でも、とらえようによっては、「駅前で配るティッシュ並みにコンテンツを消費する時代」になったともいえますね。

こんな状態を恵まれてると言い切り、いつも気分よく原稿を1日10本以上書けるという人は、個人的には友達になってノウハウを学びたいですが、家に遊びには来てほしくないです。(だって、絶対イカレてるし、いきなり暴れだしそうだもん)

まあ、それはさておいて、仕事として文章を書いていると、どろどろとした心の底にたまった「滓(おり)」の言葉がいやおうなく溜まってくるので、どこかで捨てなければ、書き手は大体バランスを失ってしまいます。

国語の教科書に出てくる作家さんの世代だと、女性との関係に溺れたり、アルコール漬になったり、いけないお薬で崩壊したりというように、さらに泥沼にハマって物が書けなくなるおきまりのコースを辿ることがほとんどでした。(まあ、今でもたまにそういう方がいますが)

今は、SNSを使って発散する人が多いようですね。
熟練したライターや作家がSNSに投稿した文章は、一見、精緻なように見えても、どろどろとした心の底が垣間見られるようなケースが珍しくありません。

困ったことに、それが編集者側やクライアントからみれば、面白く見えるんだなこれが。

実際、読み手として接してみると、最高に面白いということが多々あります。
お笑い番組の熱湯風呂みたいなものですね。熱湯に落とされる書き手本人はたまったものじゃありませんが。
逆に言えば、仕事で書いていなかったり、書きたいものがない人は、心の素肌をあらわにした書き手の心が現れた文章がSNSに投稿されることは、まずありません。
また、毎日SNSに自分を削って生み出した言葉を、投稿することはないでしょう。
満たされていれば、言葉はありきたりなものしか生まれませんから。

むしろ、書きたいことと日々格闘している書き手は、お金が絡まないSNSという場所で、心の素肌があらわになった言葉を書かずにはいられなくなります。
なんのしがらみのない言葉は、力に満ちていて、魅力にあふれています。

編集者やクライアントと呼ばれる人たちは、そういった文章を読み取る力に長けています。
リアルな姿とSNSの言葉が乖離するほど、面白い物をみせてくれると期待することが多いようですね。
残酷なようですが、「お金をもらって文章を書く」という過酷な仕事からドロップした人や、満たされて書くことが無くなった人は、必然的にSNSにも投稿しなくなりますから、まったく期待もされなくなるわけですね。

もっとも、書き手としてはそのほうが幸福なのかもしれませんけど。

Image Credit: markusspiske via pixabay

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