7年間「ママだけ」をしてきた私がリモートワーカーになった理由

私は今、7歳と5歳と4歳の子どもたちを育てています。
第一子を出産後、ずっと「ママだけ」をしてきた7年間。
自分が経験した苦労がきっかけとなり、「子供たちにはできるだけ『なりたい自分』になってほしい。」
そんな思いから、ほんの少しの経済的余裕のために、また働くことを決意しました。

一番下の子が幼稚園に上がったのを機に働き始め、最終的にリモートワークにたどり着きました。
今回は、ママを続けながらのリモートワーカーとしての生き方、考え方などを紹介します。

「ママだけ」にこだわった理由

7年間、私が仕事をせずにママだけにこだわった理由は、『三つ子の魂百まで』3歳までに受けた影響は100歳まで尾を引く・・・という格言があるように、子供が目覚ましく成長する3歳までの3年間、しっかり子供と関わっていきたかったというのが、一番の理由です。

ほぼ年子で3人子育てをしていたので、時間が経つのがあっという間の7年間でした。

共働きをする必要はなかった

共働きじゃないと経済的にダメかダメじゃないかといわれれば、多分ダメではないとは思います。

ただ、私自身、家庭環境に恵まれず、高校、大学と自分で学費を支払って卒業しました。
当時、周りが普通の学生時代を送っているのを横目に、自分の手の平から「なりたい自分」の欠片が零れ落ちていくのを実感しました。

自分がそういう大変な思いをした分、自分の子供たちには、できるだけ「なりたい自分」になってほしいと考えています。
その為には、経済的余裕は必須だなと常々考えていて、専業での子育ては一子につき3年までと決めていました。

パートタイマーでは、時給よりも延長保育料の方が高かった

一番下の三男が3歳を過ぎ、幼稚園に上がることが決まって、最初に働きだしたのは飲食店でのパートタイマーでした。
元々大学時代も含め5年ほどバーテンダーをしていたので、夜はバーをしているオシャレなレストランを選びました。
勿論、子供たちがいますので、勤務するのはランチタイムのみ。

前述したように、大学の学費を自分で支払っていたので、夜はバーテンダー、昼は映画館スタッフ、スポットでイベントスタッフなどをして、一応大学にもちょろっと顔を出して・・・(笑)
一体、いつ寝てるんだ?というような生活を送っていた20代前半の頃を思い出したりして、それはそれで楽しかったのですが…

しかし、我が家は最寄りの駅からバスで30分ほどかかる郊外。
小学生の長男を送り出して、幼稚園組の次男・三男を9時に送り出して、その足でパートに出たとして、10時から始業。
幼稚園の子供たちが14時には降園なので、駅前で働いていたら、遅くとも13時過ぎにはパートが終わらなければお迎えに間に合わない。
間に合わなければ時給分以上の延長保育料が発生する。

幸い家の近くに主人の実家があったので、お迎えをお義母さんにお願いできるときはお願いして、なんとか働いていましたが、結局お義母さんありきのスケジュールでしか動けなくて…。

加えて短時間労働なので必然的にそんなに収入はなく、会社勤めのパートと違って時間から時間まででは帰れなくて…。
誰も悪くはないのですが、私が働きだしたことによって、だんだんと我が家に笑顔が減っていきました。

これじゃ、何のために働きだしたのか意味がわからないなと、半月位でそのパートは退職しました。
その半月、色々考えて、考えついたのが、できるだけ子供たちに寄り添いながら、自分の強みを活かした仕事をしていこう!ということでした。

リモートワークは子どもと寄り添って仕事ができる

リモートワークというワークスタイルは『子どもと寄り添って仕事ができる』というのが、私がこの働き方を選んだ最大の理由です。
子供たちに伝えたい事、一緒にしたい事、まだまだいっぱいありますし、男の子は特に、密にコミュニケーションが取れる期間が短い気がしますし…

皆が少しずつ無理をして、笑顔が少なくなってしまうような働き方ならば、その選択肢を選ぶことは、「今」はしなくていいと思いました。
経済的余裕よりも、大切な物を優先させようと決めました。

決めたら行動が早いのが私の特技で、長男の子育てをしている最中に、少しの間ブログの代行業をしていたこともあり、在宅でできるリモートワークをはじめよう!と思い立ちました。

まずは、経験したことがあるブログの代行を請け負いました。
その後、別件で通勤スタイルでのネットショップ運営の仕事募集があったので、面接に行き、在宅でさせてほしいと交渉。
打ち合わせをして見積もりを出して、結局採用していただき、今も継続的にお仕事させていただいています。

そこからは、自分のできること、得意なことをクラウドソーシングなどで仕事にするようになりました。
主にライティングや、企画書や提案書の作成なんかがメインです。

バーテンダーから始まった私の職歴はバラエティーに富んでいて、中でも一番長く勤めていたのが広告代理店でした。
広告代理店時代に培ったものが基盤となり、販促物の制作や、テープ起こし、最近では電子書籍のデータ制作や編集・校正なども請け負っています。

ちょっとだけリモートワークのつもりが、気付いたら個人事業主に

リモートワークを始めたての頃は、短時間のパートタイムくらいの収入さえ確保できたら、まぁ御の字かなと思っていました。

それが、性分なのか…だんだんと「数をこなす」のではなく「クオリティーをあげる」ことに注力するようになりました。
すると、少しずつですが、「顧客様」ができてきました。

思い切って、この4月から、子供たちのイニシャルの頭文字をとって、屋号を決めました。
3人息子なので、3本の矢をイメージしたロゴにして…。

始めだしたら楽しくて、自分で簡単なHPを作って、FBとリンクさせて…直接お取引させていただいているお客様には、請求書や領収書を発行しなければならないので、社印を作り、実印もフルネームのものを新調しました。

気が付いたら…個人事業主になっていました。

買いたいものの目標が、子供たちのDSのソフトから、私が仕事で使うMACや一眼レフへと変わってきました。

だけど、変わらないもの、変えたくないものは、「子供たちに寄り添って生きていく」という気持ちです。

実は今、長男が入院中で、仕事場所は自宅と病院、半々といったところです。
それでも成り立っていけるのが、リモートワークというワークスタイルです。

ただ、勘違いしてほしくないのは、自由でどんな場所でも適当にできるからこのスタイルが成り立っているのではないということ。
リモートワーカーという生き方は、責任感と意識の高さがとても重要だと思います。

どんなことがあっても、どんな状況に置かれても、自分の請け負った仕事は絶対に納期までにやりきる。
『自分の代わりはいない』という信念をもって仕事をしていかなければ、この仕事は勤まりません。

そういう意味では、子育てとどこか共通しているかもしれません。
親の代わりはどこにもいませんから。

私は「ママ」という、今のポジションが好きです。
その大好きな「ママ」を続けながら、子供たちと近い距離で仕事ができているリモートワークという今のライフスタイルを、私はとても気に入っています。

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